熊野那智大社 近世以降
慶長6年(1601年)1月4日の『熊野那智山神領注文写』によると神領は633石余となっている。同年には紀州藩主 浅野幸長(あさの よしなが)によって那智山は市野々村と二河村(現・那智勝浦町)に300石を与えられた。寛政10年(1798年)大晦日に参拝した高遠(たかとお)藩の砲術家・坂本天山(さかもと てんざん)は、建造物が壮麗で香炉には火が絶えず、社人・社僧の数が多い事を『紀南遊嚢』(きなんゆうのう)に記している。
近世末期の那智大社には数多くの社僧坊舎があり、1873年(明治6年)に県社に指定されるとともに那智神社と称し、さらに熊野夫須美神社と改称した。1921年(大正10年)に官幣中社に昇格して熊野那智神社と改称、最終的に1963年(昭和38年)に熊野那智大社と改称して今日に至る。