熊野速玉大社 歴史
創建年代は不詳である。
熊野速玉大神は、熊野速玉大社では伊邪那岐神(いざなぎのかみ)とされ、熊野本宮大社では同じ神名で日本書紀に登場する速玉之男(はやたまのを)とされる。また、この速玉之男神の名から神社名がつけられたといわれる。熊野夫須美大神(くまのふすびのおおかみ)は伊邪那美神とされる。もともとは近隣の神倉山の磐座(いわくら)に祀られていた神で、いつ頃からか現在地に祀られるようになったといわれる。神倉山にあった元宮に対して現在の社殿を新宮とも呼ぶ。穂積忍麻呂(ほづみ の おしまろ)が初めて禰宜に任じられてからは、熊野三党のひとつ・穂積氏(藤白鈴木氏。ふじしろすずきし)が代々神職を務めた。
· 1871年
- 近代社格制度のもとで熊野速玉神社(くまのはやたまじんじゃ)として県社に列格。
· 1883年(明治16年)
- 打ち上げ花火が原因で社殿が全焼。
· 1915年(大正4年)
- 官幣大社に昇格。
· 1967年(昭和42年)
- 社殿を再建。
· 2004年(平成16年)7月1日
- 「紀伊産地の霊場と参詣道」の一部としてユネスコの世界遺産に登録。