松尾大社 祭事 松尾祭(まつのおまつり)

 

 

· 神幸祭 (しんこうさい。4月20日以降の第1日曜)

· 還幸祭 (かんこうさい。神幸祭3週間後の日曜)

 

 

 

4月下旬から5月中旬に行われる神幸祭・還幸祭は、それぞれ「おいで」「おかえり」と称され、併せて「松尾祭(まつのおまつり)」や「松尾の国祭」とも総称される。かつては3月中卯日に出御・4月上酉日に還幸であったが、明治以降は4月下卯日に出御・5月上酉日に還幸となり、現在では上記日付で行われる。この松尾祭は『江家次第(ごうけしだい)によれば貞観年間(859年-877年)に始まったといい、『延喜式』において祭の様式が定められている。応仁の乱以後は衰退があったものの、その後再興を経て現在まで続いている。

 

 

祭では、まず神幸祭前日に摂社月読神社境内の御船社において、船渡御(ふなとぎょ)の安全祈願を行う。そして神幸祭では、松尾七社のうち月読社以外6社の神霊を神輿に、月読社の神霊のみを唐櫃(からびつ)に遷し、拝殿を3周したのちに月読社を先頭として松尾大社を出発する。境内を出た一行は桂川を船で渡り、河原の斎場において各神に古例の団子神饌を献じる。その後 衣手社(ころもでしゃ)神輿を郡衣手神社(こおりころもでじんじゃ)に、三宮社神輿を川勝寺三宮神社(せんしょうじ さんのみやじんじゃ)に、ほか5社の神輿・唐櫃を西七条御旅所(にししちじょうおたびしょ)に移し、それぞれの地で3週間とどめる。

 

 

次に還幸祭では、上記3ヶ所の神輿・唐櫃が唐橋の「旭日の杜」(西寺(さいじ)跡)に集められ、赤飯座の特殊神饌を献じて祭典を行う。さらに朱雀御旅所(松尾総神社。まつおそうじんじゃ)に移し祭典を行ったのち、松尾橋を渡って本社に到着、拝殿を周り祭典を行って一連の祭を終了する。この還幸祭は、本殿・楼門のほか各御旅所の本殿、神輿、神職の冠・烏帽子まで葵と桂で飾ることから、特に「葵祭(あおいまつり)と称されている。同名の祭としては賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)葵祭(賀茂祭)が有名であるが、松尾祭でも古くから葵鬘(あおいかずら)が使用されたことは『江家次第』に見える。平安時代にはすでに松尾・賀茂両社で似た祭が行われていたことから両社の祭祀の共通性が指摘されるほか、同様の風習は伏見稲荷大社の稲荷祭でも見られることからこれら3社まで拡げた祭祀共通性も指摘される。

 

 

なお、上記のように松尾祭では神輿が西寺跡まで渡御するが、これに対して伏見稲荷大社の稲荷祭では同社の神輿が東寺(とうじ)まで渡御することが対称的な事象として知られる。このことと松尾大社・伏見稲荷大社の氏子区域が千本通せんぼんどおり。旧平安京朱雀大路(すざくおおじ)に重複)を境とすることとを考え合わせ、松尾祭・稲荷祭の祭礼形態が古くから対称的な関係にあるとし、少なくとも西寺が機能した平安時代後期まで遡りうるとする説が挙げられている。