松尾大社 境内 社殿

 

 

本殿は、弘安(こうあん)8年(1285年)の焼失を受けて室町幕府初期の応永(おうえい)4年(1397年)に再建されたのち、天文(てんぶん/てんもん)11年(1542年)に大改修されたものになる。部材のほとんどは天文11年のものであるため、現在の文化財に関する公式資料では天文11年の造営とされている。形式は桁行三間・梁間四間、一重、檜皮葺。屋根は側面から見ると前後同じ長さに流れており、この形式は「両流造(りょうながれづくり)とも「松尾造(まつおづくり)とも称される独特のものである。本殿は東面しており、彫刻や文様など随所には室町時代の特色が表れている。天文の大改修後は嘉永(かえい)4年(1851年)、大正13年(1924年)に大修理が加えられ、昭和46年(1971年)に屋根葺き替え等の修理が行われた。この本殿は国の重要文化財に指定されている。

 

 

本殿の北側には、本殿と並ぶ形で神庫(じんこ)が建てられている。この神庫は縦二間・横三間、校倉造で、檜皮葺。室町時代初期の「近郷図」(きんごうず)ではこの場所に仮殿が見えるが、元禄・寛政期の絵図では代わって神輿庫が見える。その神輿庫は文久(ぶんきゅう)3年(1863年)に拝殿南側の現在地に移築され、さらに代わって建てられたのがこの神庫になる。

 

 

本殿には向拝を接して釣殿(つりどの)が接続しており、その釣殿の東に接して回廊が南北に延び、本殿と神庫を囲む。この回廊には3つの門が開かれており、中央の本殿正面にあたる門は「中門」、北の門は「北清門」、南の門は「南清門」と称される。回廊は板敷で、釣殿・回廊・門の屋根はいずれも檜皮葺である。なお、これらのうち釣殿は「近郷図」には見えない。以上の建物は嘉永4年(1851年)の改築になる。また回廊の右手奥には神饌所(しんせんじょ)があり、献上される神饌はここで調理される。

 

 

中門正面にある拝殿入母屋造(いりもやづくり)で、檜皮葺。広場の中央に位置し、大祓式のほか各種神事で使用される。この拝殿は、元禄・寛政期の絵図でも同一の様式で描かれている。また、表参道に建つ楼門は桁行(間口)三間・梁間(奥行)二間の三間一戸楼門で、屋根は入母屋造檜皮葺。寛文(かんぶん)7年(1667年)に棟上げされた。高さ約11メートルで大規模なもので、華美な装飾はなく和様系で古式の楼門である。

 

 

境内入り口にある鳥居は、有栖川宮幟仁(ありすがわのみや たかひと)親王の筆になる額「松尾大神」を掲げる。鳥居には「脇勧請(わきかんじょう)」と呼ばれる榊の小枝の束12本が下げられているが、これは鳥居の原始形式を示すものと伝える。