松尾大社 概史 古代

 

 

創建後の伝承として、『江家次第(ごうけしだい)によれば天平2年(720年)に「大社」の称号が許されたという。

 

 

国史では延暦(えんりゃく)3年(784年)に桓武天皇長岡京遷都を当社と乙訓神(おとくにのかみ)に報告し、その際に両神に従五位下の神階が叙せられている。延暦5年(786年)には従四位下に昇叙された。

 

 

平安京遷都後も松尾社に対する朝廷の崇敬は続き、国史では神階が貞観(じょうがん)8年(866年)に正一位勲二等まで昇叙された記事が見え、『本朝月令(ほんちょうがつりょう/げつれい)ではのちに正一位勲一等の極位に達したとする。同じ秦氏奉斎社としては稲荷神社(現・伏見稲荷大社)も知られるが、松尾社は稲荷社よりも220年ほど早く正一位に達した。

 

 

延長5年(927年)成立の『延喜式神名帳では山城国葛野郡に「松尾神社二座 並名神大 月次相嘗新嘗」として、二座が名神大社に列するとともに月次祭(つきなみさい)相嘗祭(あいなめのまつり)新嘗祭(にいなめさい)幣帛に預かった旨が記載されている。『二十二社註式』によれば、平安時代中期には二十二社の1つとして上七社の中でも特に4番目に列している。また平安期には、寛弘(かんこう)元年(1004年)の一条(いちじょう)天皇の参拝を始めとして、後一条(ごいちじょう)後朱雀(ごすざく)・後三条(ごさんじょう)堀河(ほりかわ)崇徳(すとく)近衛(このえ)後鳥羽(ごとば)順徳(じゅんとく)ら各天皇から10度にも及ぶ参拝があり、その際には神宝奉納や祈願があったことが国史に記載されている。