松尾大社 祭神 中津島姫命について

 

 

もう1柱の祭神である中津島姫命(なかつしまひめのみこと)は、宗像大社むなかたたいしゃ。福岡県宗像市)で祀られる宗像三女神市杵嶋姫命(イチキシマヒメ)の別名とされる。

 

 

『本朝月令』所引『秦氏本系帳』の別条では、

 

筑紫胸形坐中部大神、戊辰年三月三日、天下坐松埼日尾又云日埼岑

 — 『本朝月令』「4月上申日松尾祭事」所引『秦氏本系帳』

 

として、戊辰年(天智天皇7年(668年)か)に胸形(宗像)の中部大神(中都大神の誤写か)が「松埼日尾日埼岑」に天降ったとする。この「松埼日尾」については京都市松ヶ崎説と松尾山頂説とがある。特に後者の説では、松尾山頂に残る磐座いわくら。御神蹟(ごしんせき))の存在が指摘され、松尾大社側の伝承では中津島姫命はこの磐座に降臨したとしている。なお、上記伝承では大山咋神の記載は見えないことについて、大山咋神の鎮座は周知のことで記載の必要がなかったとも推測されるが、詳細は明らかでない。

 

 

 

この神が祀られた経緯は定かでないが、宗像の市杵島姫命が海上守護の性格を持つ神であることから、秦氏が大陸出身であることに由来するとする説がある。一方、『秦氏本系帳』において秦忌寸知麻留女(はたのいみきちまるめ)斎女(いつきめ。神に奉仕する未婚の女性)として見えることから、巫女が松尾大社の祭祀主体であったとして、これに由来したと見る説もある。