山王権現 神仏分離・廃仏毀釈

 

明治維新神仏分離廃仏毀釈によって、天台宗の鎮守神である山王権現は廃された。

 

 

日吉大社では、公布されたばかりの神仏分離令が最初に実行されたとされる。慶応4年(1868年近江国日吉山王社は比叡山延暦寺から強制的に分離され、日吉大社に強制的に改組された。このとき、明治政府の神祇官事務局の人々が中心となって、大社の仏像や、梵鐘、経典、掛け軸などを燃やしたり、金属部分を大砲や貨幣鋳造のために押収するなどした。これが先例となって、廃仏毀釈が全国的に行われるようになったという。

 

 

なお、日吉大社の権禰宜(ごんねぎ)の話では、廃仏毀釈は「持て余すものをお焚き上げしたに過ぎない」ものだったという。 江戸初期に既に廃仏毀釈が行われた点をみても、大社側は神仏習合をもともと快く思っておらず、神仏分離令をきっかけにすぐ廃仏毀釈が行われたのは、自然な成り行きだったという。また、最初の廃仏のときに、仏像等を延暦寺に返せば、円満に解決したはずだが、裁判を起こされたことが、大社と延暦寺の間にしこりを残し、明治期の激しい廃仏につながったのだという。もっとも、当時は、これまでの崇敬の対象を破壊することはできないと、仏像等を隠した神官や氏子も多くみられたという。

 

 

現在も残る山王社の多くは、大山咋神(おおやまくいのかみ)を祭神とする神道日枝神社(ひえじんじゃ)日吉神社(ひえじんじゃ/ひよしじんじゃ)等になっている。