御柱祭 担当地区
御柱の担当地区に関しては古来の記録によると鎌倉時代などでは信濃国全体からの奉仕があったようであるが江戸時代には諏訪藩の支配のもとに領民だけで曳行が行われる現在に近い形が出来上がっていたと推定されている。1879年に諏訪郡が発足すると当時の村別に上社、下社の担当地区割の枠組みが定められた。その後御柱担当の抽籤制度の導入を経て、1902年の御柱祭協議に於いて上社、下社担当地区の再編が行われ現在に至っている。この協議の際に下社の御柱抽籤は廃止されている。第二次世界大戦後の昭和の大合併により同じ枠組みでも違う市町村となった地区もあるが御柱担当の地区割はそのまま維持されている。