諏訪大社 祭事 上社 御射山祭(みさやまさい)

 

 

上社の狩猟神事。中世には年4回八ヶ岳(やつがたけ)の裾野で巻き狩り祭を行い、御射山祭はその中で最も長く5日間続いた。青萱(あおがや)の穂で仮屋を葺き、神職その他が参籠の上祭典を行なうことから「穂屋祭り」(ほやまつり)の名称もある。鎌倉時代に幕府の命で御射山祭の費用を信濃の豪族に交代負担することが決められ、参加する成年期の武士(と馬)はこの祭で獲物を射止めることで一人前の武士、成馬として認められたという。

 

 

またこの祭の起こりとして、南北朝時代の神道集『諏訪大明神秋山祭のこと』では、 

 

平安時代初期、坂上田村麻呂蝦夷討伐のため信濃まで来た際、諏訪明神が一人の騎馬武者に化身して軍を先導し、蝦夷の首領悪事の高丸(たかまる)を射落としたので田村将軍がとどめを刺すことが出来た。将軍がこの神恩に報いるため悪事の高丸を討ち取った日を狩猟神事の日と定め、御射山祭の始めとなった。この縁日(旧暦7月27日)になると討ち取られた高丸の怨霊が嵐を起こすといわれる」

 

という伝説を伝えている。現在はこの祭はずっと小規模になっている。