厳島神社 社殿 摂社、末社、附属建物 ③

 

 

· 末社豊国神社(とよくにじんじゃ)本殿

- 明治以降は豊国神社となっているが、もとは大経堂で、豊臣秀吉が天正15年(1587年)に戦没者の供養のために発願した建物である。秀吉が毛利輝元に命じて建立させ、実際の建築の指図は安国寺恵瓊(あんこくじ えけい)によって行われた。この建物の鬼瓦には天正17年(1589年)の銘を有するものがあり、この頃までには建物の形ができていたと思われるが、その頃、秀吉が朝鮮への出兵を決意したことにより建築工事は中断し、細部の造作は未完成のまま今日に至っている。入母屋造、本瓦葺。柱間は桁行13間(背面は15間)、梁間8間、実長は桁行39.5メートル、梁間21.1メートルの規模を有し、外周には軒の出を支えるため軒支柱をめぐらせている。この建物は規模の大きさから「千畳敷」と通称されるが、床は畳敷ではなく板張である。内部は2間ごとに独立柱が立ち、中央奥に須弥壇(しゅみだん)を設ける。

 

 

· 宝蔵(ほうぞう)

- 校倉造(あぜくらづくり)。屋根は寄棟造(よせむねづくり)、檜皮葺。室町時代の建立。

 

 

· 五重塔(ごじゅうのとう)

- 応永14年(1407年)の建立。檜皮葺。日本の他の仏塔と同様、建築様式は和様を基調とするが、四隅の軒の強い反り、柱の粽(ちまき)、尾垂木(おだるき)の先端を三角形状に削る点など、細部に禅宗様の要素がみられる。

 

 

· 末社荒胡子神社(あらえびすじんじゃ)本殿

- 一間社流造、檜皮葺の小社殿。嘉吉元年(1441年)の建立。

 

 

· 多宝塔(たほうとう)

- 檜皮葺。大永3年(1523年)の建立。

 

 

· 摂社大元神社(おおもとじんじゃ)本殿

- 三間社流造、流板葺。大永3年(1523年)の建立。前方の庇部分を、正面は菱格子戸、側面は板壁で囲い、前室として取り込む形式が珍しい。