道鏡事件 事件の経緯 事件決着後

 

· 宝亀(ほうき)元年(770年)に孝謙天皇が死去すると、『続日本紀』の記述によると群臣の評議の結果、皇太子を白壁王(しらかべおう。後の光仁(こうにん)天皇)とする孝謙天皇の「遺宣」が発せられ、道鏡は下野国薬師寺(やくしじ)へ左遷(配流)された。なお、この時(宝亀元年8月21日)の白壁王の令旨に「道鏡が皇位をうかがった」とする文言があるものの、具体的に道鏡のどのような行動を指すのかには全く触れられていない。