天満宮 由来など
道真が亡くなった後、平安京で雷、大火、疫病などの天変地異が相次ぎ、清涼殿落雷事件で大納言の藤原清貫(ふじわらの きよつら)ら道真左遷に関わったとされる者たちが相次いで亡くなったことから、道真は雷の神である天神(火雷神。ホノイカヅチノカミ)と関連付けて考えられるようになった。「天満」の名は、道真が死後に送られた神号の「天満(そらみつ)大自在天神」から来たといわれ、「道真の怨霊が雷神となり、それが天に満ちた」ことがその由来という。
道真が優れた学者であったことから天神は「学問の神様」ともされ、多くの受験生が合格祈願に詣でる。参拝して筆を買うと受験に利益があるともいう。
道真が梅を愛し、庭の梅の木に
「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな」
(拾遺和歌集。しゅういわかしゅう)
と和歌を詠み、その梅が大宰府に移動したという飛梅(とびうめ)伝説ができたことから、梅を象徴として神紋に梅紋(うめもん)、梅鉢紋(うめばちもん)、星梅鉢(ほしうめばち)などが多く使用されている。また道真と牛にまつわる様々な伝承から、天満宮では牛を神使としており、境内に臥牛像など撫牛(なでうし)が置かれている。
各地の天満宮のうち、特に道真と関係が深いという大宰府・北野(きたの)の二つに、天満宮の中で最も古い歴史を持つ山口県の防府(ほうふ)あるいは天神祭で有名な大阪などを入れた三つの天満宮が日本三大天神と呼ばれる。太宰府天満宮は道真の墓所・廟に造営され、北野天満宮は道真が好んだという右近の馬場に朝廷が道真の怨霊を鎮めるために造営された。この両社が信仰の中心的役割を果たしている。
さらに、京都(菅原院天満宮神社。すがわらいんてんまんぐうじんじゃ)から九州(太宰府)まで道真を祀る天満宮の中から、由緒深い25社を選んで順拝するという「菅公聖跡二十五拝」(かんこうせいせきにじゅうごはい)という風習がある。