八坂神社 歴史 ②
祇園祭は、貞観11年(869年)に各地で疫病が流行した際に神泉苑(しんせんえん)で行われた御霊会(ごりょうえ)を起源とするもので、天禄(てんろく)元年(970年)ごろから当社の祭礼として毎年行われるようになった。
祇園社は当初は興福寺(こうふくじ)の配下であったが、10世紀末に戦争により延暦寺がその末寺とした。1070年には祇園社は鴨川の西岸の広大の地域を「境内」として認められ、朝廷権力からの「不入権」を承認された。
嘉禄(かろく)3年(1227年)延暦寺は、法然の墓所を感神院の犬神人(いぬじにん、いぬじんにん、つるめそう)に申し付けて破却する。
1384年に足利義満は、祇園社を比叡山から独立させた。だが、それで祇園社が幕府配下となったわけではなく、以降、祇園祭は経済的に力をつけていた京の町衆により行われるようになり、現在に至っている。
慶応(けいおう)4年(9月8日に1月1日に遡って明治元年に改元)の神仏混交禁止により「感神院祇園社」の名称を「八坂神社」と改めた。近代社格制度のもと、明治4年(1871年)に官幣中社に列格し、大正4年(1915年)に官幣大社に昇格した。