神八井耳命 記録

 

日本書紀』綏靖天皇即位前紀によれば、朝政の経験に長けていた庶兄の手研耳命(たぎしみみのみこと)は、皇位に就くため弟の神八井耳命・神渟名川耳尊を害そうとした。この陰謀を知った神八井耳・神渟名川耳兄弟は、己卯(つちのとう、きぼう)年11月に片丘(奈良県北葛城郡王寺町香芝町上牧町付近か)の大室に臥せっていた手研耳を襲い、これを討った。この際、神八井耳は手足が震えて矢を射ることができず、代わりに神渟名川耳が射て殺したという。神八井耳はこの失態を深く恥じ、弟に皇位をすすめ(第2代綏靖天皇)、自分は天皇を助けて神祇を掌ることとなった。そして神八井耳は綏靖天皇4年4月に死去したという。

 

 

古事記』においても同様の説話が記されている。