儒家神道 思想

 

 

神儒一致思想には儒教に重きを置くものと神道に重きをおくものがある。林羅山や貝原益軒(かいばら えきけん)三輪執斎(みわ しっさい)などの説は前者の傾向が強いが、雨森芳洲(あめのもり ほうしゅう)山鹿素行(やまが そこう)熊沢蕃山(くまざわ ばんざん)二宮尊徳(にのみや そんとく)帆足万里(ほあし ばんり)徳川斉昭(とくがわ なりあき)藤田東湖(ふじた とうこ)などの説は後者の傾向が強い。

 

 

貝原益軒は儒教の経書(けいしょ)は神道の経典になるべきと考えた。また、益軒は儒教の理(り)を用いて神道を解釈すべきとし、神道を儒教の天(てん/あま)と同一視していた。三輪執斎は『中庸』に神道の極意が存在すると考えた。

 

 

雨森芳洲は三種の神器が仁・明・武の三徳を表すものであるとし、儒教は神道への注釈であると考えた。一方、熊沢蕃山は三種の神器が知・仁・勇の三徳を表すものであるとした。山鹿素行は聖教(儒教)渡来以前から日本にも聖教(神道)が存在し、天皇が断絶せずに続いていることが、大陸より日本が徳化が行き渡っている証拠だとし、日本こそが「中朝」であるとする日本=中国説を唱えた。二宮尊徳は神道、儒教、仏教の中で神道を重視し、神道は開闢(かいびゃく)の大道であると主張している。徳川斉昭や藤田東湖は神道と儒教に優劣をつけることはしなかったが、東湖は神道には天照大神の神訓に由来する道義が存在すると主張した。斉昭が指導したいわゆる後期水戸学の特徴としては、易姓革命を否定し、尊王の立場をとったことが挙げられる。