護国神社 概説 ①
護国神社は、明治時代に日本各地に設立された招魂社(しょうこんしゃ)が、1939年(昭和14年)3月15日公布、同4月1日施行された「招魂社ヲ護國神社ト改称スルノ件」(昭和14年内務省令第12號)によって一斉に改称して成立した神社である。「招魂社」の名称は、「招魂」が臨時・一時的な祭祀を指し、「社」が恒久施設を指すため、名称に矛盾があるとして護国神社に改称された。「護国」の名称は、1872年12月28日(明治5年11月28日)の徴兵令詔書の一節「國家保護ノ基ヲ立ント欲ス」、1882年(明治15年)1月4日の『軍人勅諭』(ぐんじんちょくゆ)の一節「國家の保護に尽さば」など、祭神の勲功を称えるに最も相応しく、既に護国の英霊等の用語が用いられて親しみも深い、との理由で採用された。護国神社の総数は、1939年(昭和14年)4月時点で131社とされている。
社格は持たないが、内務大臣が指定した府県社に相当する指定護国神社と、村社に相当する指定外護国神社に分けられる。1945年(昭和20年)8月のポツダム宣言受諾により、日本がGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の占領統治下に置かれると、護国神社は軍国主義施設とみなされ、存続を図るために名称から「護国」の文字を外すなど改称を余儀なくされた。改称した神社は、1952年(昭和27年)にサンフランシスコ講和条約が発効して日本が主権を回復すると、大多数は旧社名に戻している。第二次世界大戦後、いくつかの指定護国神社は神社本庁の別表神社となっている。
各護国神社の祭神は靖国神社(やすくにじんじゃ)の祭神と一部重なるものの、靖国神社から分祀された霊ではなく、独自で招魂し祭祀を執り行っている。そのため、公式には護国神社は「靖国神社とは本社分社の関係にはない」とされている。しかし、共に英霊を祀る靖国神社と護国神社とは深い関わりがあり、各種の交流もある。主要な護国神社52社で組織する全國護國神社會(旧・浦安会)は靖国神社と連携し、英霊顕彰のための様々な活動を行っている。なお、沖縄県護国神社では沖縄戦で犠牲になった一般住民、遭難学童及び文官関係戦没者も祭神として祀られている。また、広島護国神社では原子爆弾の犠牲になった勤労奉仕中の動員学徒、女子挺身隊員も祭神として祀られている。