明治維新政府の官制 三職

 

慶応3年12月9日1868年1月3日)に王政復古の大号令が出されると、依然として強力な政治体制を維持していた江戸幕府に代わる政治体制の確立が急務となった。そこで、幕府征夷大将軍摂政関白に代わるものとして、総裁そうさい。有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみや たるひとしんのう。)、議定ぎじょう。皇族2名・公卿3名・薩摩尾張越前安芸土佐の各藩主の計10名)、参与さんよ。公卿5名、議定5藩より各3名の計20名)の三職(さんしょく)が任命された。慶応4年(明治元年)1月には、この下に神祇・内国・外国・海陸軍・会計・刑法・制度の七科を置いて三職七科(さんしょくしちか)とし、当面の政務に当たることになった。翌2月には、科を局として総裁局を設置し、三職八局とした(なお、海陸軍科軍防事務局と改称された)。総裁局には副総裁を置き、議定の岩倉具視三条実美をこれに任命して、熾仁親王を補佐することとなった。