『国家神道』の語の用例

 

 

「国家神道」の語彙は第二次世界大戦前より存在し、議会や神道学、内務省、陸軍省などでは「国家神道」およびその同義語を用いている例がみられる。

 

 

 

· 1908年(明治41年)3月2日、小田貫一(おだ かんいち)衆議院議員

「早ヤ既ニ宗教ノ神道[、]国家神道ト云ウモノハ明ラカニ分カッテイタケレドモガカッテイタ」(帝国議会「神職養成部国庫補助に関する建議案委員会」における発言)

 

 

· 1911年(明治44年)2月、小田貫一

「国家神道ト云フモノハ明カニ分ツテ居タ」「神社局ニ於テハ国家神道ナルモノヲ扱ヒ、宗教局ニ於テハ耶蘇、仏法及神道ノ各派ニ属スルトコロノ、即チ宗教神道ヲ支配スル」(帝国議会における発言)

 

 

· 1924年(大正13年)、加藤玄智(かとう げんち。陸軍士官学校教授・東京帝国大学神道講座助教授)は「神道」を「宗派的神道」と「国家的神道」とに分け、さらに「国家的神道」を「神社神道」と「国体神道」とに区分する説を立てた。

 

 

· 1941年(昭和16年)、宮地直一みやじ なおかず。内務省神社局考証課課長、東京帝国大学教授など)は「大化改新は、祭祀に始まり、惟神の道によりて樹立せられし国家中興の大業にして、此時に振起せられし国家神道の精神は、此後久しきに亘り持続せられて」 などと、「国家神道」の語を頻繁に用いている。

 

 

 

ただし、教派神道の「『神道各派』から区別された神ながらの道は特に国家神道とも呼ばれるが、法律家や行政実務家は以前からそれを神社と呼ぶのが例」であり、「国家神道」の語は政治家や内務省、その神社局、陸軍上層部、神道学などの場での専門用語であって、一般民衆に流通した語彙ではなかった。現在では「神社」の語義が変化しているため、「神社」ではなく「国家神道」の語をもちいるのが通例である。