神国 時代的変遷 戦国・安土桃山時代
中世以降の紛争の激化や社会の流動化の中、法の下での平和を実現する統一権力が求められた。こうした情勢において、本地垂迹説・神仏習合に基づいた中世的神国思想は、人々に正しい道を教える道徳的・超越的権威としての天道(てんどう)を説いた、儒教的な天道思想の影響を受けたものへと変化していった。
戦国時代においては、このような考えに基づき地上に平和をもたらす者が、「国主」の資格を持つ者であるとみなされるようになった。戦国大名は、自らを神仏になぞらえるなど、神国思想を領国統治のイデオロギーとしたのである。
豊臣秀吉が発布した1587年のバテレン追放令の第1条「日本ハ神国たる処きりしたん国より邪法を授候儀 太以不可然候事(日本は神国である。それなのに、キリシタンの国より邪法を広めたことは、大いに許されない)。」におけるように、日本が「神国」である、と強調されたことが、キリシタン禁教・弾圧の理論的根拠となった。