御木曳 奉曳団
奉曳の主体であり、基本的には旧神領地(概ね旧伊勢国の宮川以南の地。)の1町内で1奉曳団が結成されるが、現在の町域とは必ずしも一致しない。 旧市街地においては一つの町がいくつもの奉曳団に分かれていることがあり、近年のスプロール化現象により曳き手の減少に苦慮している。 郊外では、数町で1奉曳団を結成しているところもあるが、住宅地造成などで人口が増え、分割したところもある。 また、2005年(平成17年)に伊勢市が周辺2町1村と合併したのを機に、旧神領地ではない宮川以北の旧度会郡小俣町(おばたちょう)・旧伊勢市の北浜地区や宮本・沼木地区でも新しい奉曳団が結成された。
奉曳団は、その所在地により内宮領と外宮領に分かれる。 概ね内宮に近い宇治地区や五十鈴川(派川)流域が内宮領であり、外宮に近い旧伊勢市街地(山田地区)や旧 御薗村(みそのむら)が外宮領であるが、歴史的な経緯から次のような例外がある。
1 宮川・五十鈴川河口にある大湊町(おおみなとちょう)は、地域的には外宮領であるが、海から運ばれた用材を集積し内宮・外宮へ振り分ける貯木池があったので内宮領にも属する。1年次は川曳・陸曳の両方に参加し、2年次は内宮へ陸曳を行う。(後述)
2 宮川左岸の磯町(いそちょう)は、遷宮復活に功績のあった慶光院(けいこういん)に与えられた領地であったが、外宮領に属する。但し、奉曳は内宮へ行う。(後述)
3 神久(じんきゅう)という町の一部に二軒茶屋(にけんちゃや)という地区があり、地域的には外宮領であるが、五十鈴川洪水時に用材を守った功績により同地区のみ内宮領として奉曳を行う。
奉曳団は、御木曳行事の間のみ結成される。お白石持行事(おしらいしもちぎょうじ)の時には「奉献団」という名称になる。(例外はある。) 平年時、団が解散となる地域では、両行事に向けての積立金の管理や初穂曳(はつほびき)の実施主体は町内会に移管されることが多い。 奉曳団名は概ね(旧)町名であるが、それに雅号と称する別名を付けることもある。
御木曳初式においては、複数の奉曳団が連合して奉曳することがある。 内宮領は所属全団が小学校区単位で連合団を結成する。但し、大正年間に鎮座した倭姫宮(やまとひめのみや)へは内宮領のほぼ全団で奉曳する。 伊勢市外の瀧原二宮(たきはらにのみや)・伊雑宮(いざわのみや)にも各々奉曳団または御木曳奉仕会があり、奉曳する。 外宮領は、旧市街地の特定の団のみが奉曳するが、2奉曳団で連合するものがある。
御樋代木奉曳式は、もともと神宮直轄の行事である。(官曳という。) 第62回においても内宮領は神宮直轄として行われた。 外宮領は、宮川河畔から外宮北御門までを奉曳本部の行事として行い、北御門から外宮五丈殿までを神宮直轄の行事として行った。 いずれに対しても奉曳団役員等の参加はあったが、奉曳団単位での参加はなかった。