多邇具久(たにぐく)

 


多邇具久(たにぐく)は、日本神話に登場するである。谷蟆谷蟇の字を当ててヒキガエルを指す。

 


 

 

大国主の国づくりの説話において登場する。『古事記』における同段によると、大国主出雲の御大岬(みほのみさき。美保岬)にいたとき、海の向こうから小さな神がやって来たが、名を尋ねても答えず、誰もこの神の名を知らなかった。このとき、かかし久延毘古(くえびこ)なら知っているはずと注進したのが、ヒキガエルの多邇具久であった。はたして、久延毘古によって、その小さな神の名は「神産巣日神の子の少彦名神」であると知らされる。『日本書紀』の同エピソード部分には登場しないが、谷川健一(たにがわ けんいち)によれば、和歌山県新宮市附近ではヒキガエルを「ゴトビキ」と呼び、神武天皇東征神話に描かれる「天磐盾」(アメノイワタテ)が神倉神社(かみくらじんじゃ/かんのくらじんじゃ)の「ゴトビキ岩」であるという話を紹介している。



谷蟆(ヒキガエル)は、地上のどこにでも生息しているため、「国土の隅々まで知り尽くした存在」であるとか「地上を這い回る支配者」と考えられていた。『万葉集』巻5の800番、山上憶良(やまのうえのおくら)長歌に「天雲の向伏極み 谷蟆のさ渡る極み」と謳われる。天皇の支配領域を指し、天の雲の向こうの果てから地上はヒキガエルの歩いているようなところはすべて、という意味である。憶良の歌には、大国主が天孫降臨に先行しておこなった「国づくり」に関わる谷蟆(ヒキガエル)を引き合いに出すことで、天皇への地上の支配権の献上についてが念頭にあることが示されている。『万葉集』のこの箇所での表記は多尓具久である。この「天雲の向伏極み 谷蟆のさ渡る極み」のフレーズは京都産業大学の『学歌』(作詞 荒木俊馬(あらき としま)、作曲 團伊玖磨(だん いくま))にも引用されている。