稚日女尊 異説

 


江戸時代に作られた偽書であるとする説が有力である『ホツマツタヱ』には、『記紀』よりも詳細に稚日女のことが記されている。



ホツマツタヱ』によると、天照大神の諺名ワカヒトにちなんで名付けられた妹神、和歌の女神 和歌姫(わかひめ。諺名は日霊子 ヒルコ 姫)の結婚前までの名前と記されている。また、スサノオがしでかした、屋根を破って斑駒(ぶちごま)を投げ込む暴挙によって、落下して来た馬に動転して、不運にも手に持つ梭(ひ)で身を突いて死んでしまったと伝えられているワカヒメは、天照カミ(天照大神)の中宮セオリツ姫(瀬織津姫)ホノコの妹ワカ姫ハナコであり、玉津島神社(たまつしまじんじゃ)に祀られている稚日女(ヒルコ姫)とは別人ということになっている。



ホツマツタヱ』よりも後世に作られた可能性がある『古事記』『日本書紀』では、この辺りの情報がごっそり抜け落ちてしまったため、混同が生じているとする見方もある。玉津島神社の社伝の説明では、神功皇后が半島(新羅)に軍を進めた時に、玉津島の神が大変な霊威をあらわしたため、皇后がこれに報いて、御分霊を葛城町天野の地にお鎮め申し上げたとある。 以来玉津島と天野に一神両所が並び立ったとされている。



玉津島神社は、住吉大社(すみよしたいしゃ)、柿本大神(かきもとのおおかみ。明石)とともに、和歌三神と言われている。稚日女はオモイカネと結婚後、下照姫(シタテルヒメ)と名を改め、滋賀県天の安川=野洲で瀬織津姫の御子神、天忍穂耳尊(アメノオシホミミ)を養育した。神上(かみあ)がってから後に、歳徳神(としとくじん、とんどさん)と称えられたと『ホツマツタヱ』には記されている。