懿徳天皇 事績
『日本書紀』『古事記』とも事績に関する記載はない。
『日本書紀』によると、安寧天皇11年1月1日に立太子。安寧天皇38年12月6日の父天皇の崩御を受け、崩御の翌年(懿徳天皇元年)2月4日に即位。そして懿徳天皇2年1月5日に宮を軽曲峡宮(かるのまがりおのみや)に遷した。
その後、懿徳天皇34年9月8日に在位34年にして崩御した。時に『日本書紀』では77歳、『古事記』では45歳という。乙丑年(崩御翌年)10月13日、遺骸は「畝傍山南纎沙谿上陵」(うねびやまの みなみのまなごのたにのえのみささぎ)に葬られた。