欠史八代 実在説 その他の実在 ②

 


· 2代、3代、5代の天皇の名は和風諡号に使われる称号の部分がないため、実名として生前に使われた可能性が高い。7代~9代の天皇の名は明らかに和風諡号と考えられるが、諡号に使われる称号の部分を除けば7代は「ヒコフトニ」(彦太瓊・日子賦斗邇)8代は「ヒコクニクル」(彦国牽・日子国玖琉)9代は「ヒコオオビビ」(彦大日日・日子大毘毘)と実名らしくなり、実名を元に諡号が作られた可能性もある。また、記紀編纂時の天皇の諡号に多く見られる「ヤマトネコ」の美称はより後代の桓武平城(へいぜい)にも見られるものであり、その時代特有のものとは一概にいえない。むしろ13代14代の天皇の名のほうが実名らしくない名前で、和風諡号と言うより抽象名詞(普通名詞)に近く、こちらの方が実在の可能性が低い。

 


· すべて父子相続である点は確かに不自然だが、それだけでは非実在の証拠とはならない。むしろ後世に伝わった情報が少なかったために、実際は兄弟相続やその他の相続だったものも便宜的に父子相続と記されたとも考えられる。事績が欠けているのも同様に説明がつく。また、太田亮(おおた あきら)白鳥清(しらとり きよし)によると、神武天皇から応神(おうじん)天皇までの継承は父子継承だが長子相続でなく末子相続であり、末子相続は兄弟相続よりも古い習俗であるからむしろ実在の根拠になりうる。

 


· 既述の通り欠史八代の多くは畿内の近隣豪族と婚姻を結んでいるが、もしもその存在が後世の創作であるとすれば後代の天皇達のように「皇族出身の女性を娶った」と記す方が自然である。また、『日本書紀』は欠史八代の皇后の名前について異伝として伝わる別の名前も載せているが、これらの皇后の存在が創作であるのならこのようなことをする理由がない。