歴史学界における神武天皇 

 


なお、津田左右吉は当時、神武天皇を認めつつも次の第二代目天皇の綏靖天皇から第十四代の仲哀(ちゅうあい)天皇までの実在性に疑義をとなえていたが(欠史十三代)、戦後の歴史学の研究成果により、実在可能性に乏しいのは第九代の開化(かいか)天皇までであり、第十代の崇神天皇からは実在の人物であるとする考え方(欠史八代)が、現代の歴史学会において主流となっている。



こうした経緯から、現代の歴史学界では神武天皇の存在は前提とされていない。そのため古代史研究者の間では、神武天皇の説話は、弥生時代末期から古墳時代にかけての種々の出来事をベースに、実在した複数の人物の功績や人物像を重ねあわせて記紀編纂時に創作されたものとする、「モデル論」が盛んである。神武天皇の「モデル」とされた人物としては、学術上、実在の可能性が認められる初めての天皇とされる崇神(すじん)天皇を筆頭に、応神(おうじん)天皇継体(けいたい)天皇、さらには記紀編纂時期の天皇である天武天皇などが指摘されている。



一方で、心理学者で古代史研究家の安本美典(やすもと びてん)のように、神武天皇を実在とする論者もいる。神武東征物語は、邪馬台国の東遷(邪馬台国政権が九州から畿内へ移動したという説)であるとする。また古田武彦(ふるた たけひこ)も神武天皇の実在を主張するが、神武天皇が開いた大和朝廷を邪馬壱国/吸収王朝の分家だとしている。



なおギネスブックでは神武天皇の伝承を元に、日本の皇室を世界最古の王朝としているが、「現実的には4世紀」としている。