神武天皇 生涯 八咫烏の道案内と勝利
東征がはかばかしくないことを憂えた天照大神は武甕槌命(タケミカヅチ)と相談して、霊剣(布都御魂。ふつのみたま)を熊野の住民の高倉下(たかくらじ)に授け、高倉下はこの剣を磐余彦に献上した。剣を手にすると軍衆は起き上がり、進軍を再開した。だが、山路険絶にして苦難を極めた。そこで、天照大御神は八咫烏(やたがらす)を送り教導となした。八咫烏に案内されて、莵田(うだ)の地に入った。
8月、莵田の地を支配する兄猾(えうかし)と弟猾(おとうかし)を呼んだ。兄猾は来なかったが、弟猾は参上し、兄が磐余彦を暗殺しようとする姦計を告げた。磐余彦は道臣命(みちのおおみのみこと)を送ってこれを討たせた。磐余彦は軽兵を率いて吉野の地を巡り、住人達はみな従った。
9月、磐余彦は高倉山に登ると八十梟帥(やそたける)や兄磯城(えしき)の軍が充満しているのが見えた。磐余彦は深く憎んだ。高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)が夢に現れ、その言葉に従って天平瓦と御神酒をの器をつくって天神地祇を祀り、勝利を祈願した。
10月、磐余彦は軍を発して国見岳で八十梟帥を討った。11月、磯城に攻め入り、八咫烏に遣いさせ弟磯城(おとしぎ)は降参したが、兄磯城が兄倉下(えくらじ)、弟倉下(おとくらじ)とともになおも逆らったため、椎根津彦(しいねつひこ)が奇策を用いてこれを破り、兄磯城を斬り殺した。
12月、長髄彦と遂に決戦となった。連戦するが勝てず、天が曇り、雹(ひょう)が降ってきた。そこへ鵄(とび)があらわれ、磐余彦の弓の先にとまった。すると電撃のごとき金色の煌きが発し、長髄彦の軍は混乱し、そこへ磐余彦の軍が攻めかかった。饒速日命は長髄彦を殺して降伏した。
翌己未(つちのとひつじ)年2月、磐余彦は従わない新城戸畔(にいきとべ)、居勢祝(こせのはふり)、猪祝(いのはふり)を討った。また高尾張邑に土蜘蛛(つちぐも)という身体が小さく手足の長い者がいたので、葛網の罠を作って捕らえて殺した。これに因んで、この地を葛城(かつらぎ)と称した。これによって、磐余彦は中州を平定した。3月、畝傍山(うねびやま)の東南の橿原の地を都と定める。庚申(かのえさる)年、大物主(おおものぬし)の娘の媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめ)を正妃とした。