サタヒコ 上社の神

 


神名が「佐田彦神」になるのは明治以降で、室町時代の『二十二社註式』の伏見稲荷の条では「猿田彦神」である。神社には上社(かみやしろ)と下社(しもやしろ)の二社、あるいは中社を加えた三社の形式を取るものがあり、これらの多くは上中下を何で区別しているかは不明だが、同書では、「上社。猿田彦命。三千世界の地主神とは是れなり。」と説明される。



また、江戸時代の『雍州府志』(ようしゅうふし)では、伏見稲荷の上社の神を「大田命」(おおたのみこと)としている。この神は猿田彦神の子孫で、伊勢の五十鈴原の地主神である(猿田彦神の別名ともいわれる)。 同じく江戸時代の『神社啓蒙』では、上社の神は「土祖神」(つちのおやのかみ)としている。



これらから上社の神は、古くから稲荷山の山神として祀られた神であり、後に穀物神である稲荷主神が今来(いまき)の神として祀られた際に、地主神として併祀されたのではないかといわれる。上社の神は「陽神形一座」と伝えられ、男神であるとされていた。