一宮(いちのみや)
一宮(いちのみや)とは、ある地域の中で最も社格の高いとされる神社のことである。一の宮・一之宮などとも書く。
通常単に「一宮」といった場合は、令制国の一宮を指すことが多い。一宮の次に社格が高い神社を二宮、さらにその次を三宮のように呼び、更に一部の国では四宮以下が定められていた事例もある。『「一宮」の選定とその背景』では、選定基準を規定した文献資料は無いが、一宮には次のような一定の形式があるとしている。
1 原則的に令制国1国あたり1社を建前にした。
2 祭神には国津神系統の神が多く、開拓神として土地と深いつながりを持っており、地元民衆の篤い崇敬対象の神社から選定されたことを予測できる。
3 全て『延喜式神名帳』の式内社の中から選定された1社であるが、必ずしも名神大社に限られていない。(異説あり。後述の「変遷と争い」を参照。)
4 必ずしも神位の高きによらないで、小社もこれに与かっている。
また、『中世諸国一宮制研究の現状と課題』では、諸国一宮が少なくとも次のようなそれぞれ次元を異にする3つの側面を持つとしている。
1. 氏人や神人などの特定の社会集団や地域社会にとっての守護神。
2. 一国規模の領主層や民衆にとっての政治的守護神。
3. 中世日本諸国にとっての国家的な守護神。
律令制において国司は任国内の諸社に神拝すると定められており、通説によると一宮の起源は国司が巡拝する神社の順番にあると言われている。律令制崩壊の後も、その地域の第一の神社として一宮などの名称は使われ続けた。現在ではすべての神社は平等とされるが、かつて一宮とされた神社のほとんどが「△△国一宮」を名乗っている。また、全ての一宮が加盟しているわけではないが、これら過去に一宮とされた神社は「全国一の宮会」を結成している。
江戸時代初期の神道者・橘三喜(たちばな みつよし)が延宝(えんぽう)3年(1675年)から23年かけて全国の一宮を参拝し、その記録を『諸国一宮巡詣記』全13巻として著し、これにより多くの人が一宮の巡拝を行うようになった。現在、一宮巡拝を行っている人々の集りとして「一の宮巡拝会」が結成されており、「全国一の宮会」と連携して一宮巡拝普及のイベントを行っている。