天孫降臨 日本書紀 ⑤


 

それから、天津彦火瓊瓊杵尊は日向の日(くしひ)の高千穗の峯(たけ)に降り立ち、膂宍(そしし)の胸副国(むなそうくに)を頓丘(ひたお)から国覓(ま)ぎ行去(とお)りて、浮渚在平地(うきじまりたひら)に立った。そして、国主(くにのぬし)事勝国勝長狭(ことかつくにかつながさ)を召して訪(と)う。すると彼は「是(ここ)に国有り、取り捨て勅の随(まにま)に。(どうぞご自由に)」と答えた。



そこで皇孫は宮殿を立て、そこで遊息(やす)んだ後、海辺に進んで一人の美人(をとめ)を見かけた。皇孫が、「汝(いまし)是(これ)誰が子ぞ。」と尋ねると、「妾(やつこ)は是(これ)大山祇神(おおやまつみ)が子、名は神吾田鹿葦津姫(かみあたかあしつひめ)、またの名は木花開耶姫(このはなさくやびめ)。」と答え、さらに、「また、我が姉(いろね)磐長姫(いわながひめ)在り。」と申し上げた。皇孫が、「我、汝(いまし)を以ちて妻となさんと欲(おも)う、如之何(いかに)。」と尋ねると、「妾が父(かぞ)大山祇神(おおやまつみのかみ)在り。請(ねが)わくは垂問(と)いたまえ。」と答えた。



皇孫がそこで大山祇神に、「「我、汝(いまし)の女子(むすめ)を見る。以ちて妻とせんと欲う。」と語ると、大山祇神は使女(ふたりのむすめ)をして百机飮食(ももとりのつくえもの)を持たしめて奉進(たてまつ)る、とある。



すると皇孫は、姉の方は醜いと思って御(め)さず罷(さ)けき。妹(おとと)は有国色(かおよし)として引(め)して幸(あ)いき。すると一夜にして身籠(みごも)った。そこで磐長姫は大いに恥じ、「仮使(たとえ)天孫(あめみま)、妾を斥(しりぞ)けず御(め)さば、生める児(みこ)は寿(いのち)永く、磐石の常に存るが如くに有らんを、今、既に然らず。唯、弟(妹)独(ひと)りを見御(みそなわ)すは、其の生める児(みこ)は必ず木の花の如く移ろい落ちなん。」と呪詛(じゅそ)を述べた。その後に、神吾田鹿葦津姫異伝を伝えている。   この一書では前半、天児屋命・太玉命を主として描き、後半は磐長姫の逸話を伝えている。