イザナミ 神話のエピソード

 


天地開闢(てんちかいびゃく)において神世七代(かみのよななよ)の最後にイザナギとともに生まれた。オノゴロ島におりたち、国産み・神産みにおいてイザナギとの間に日本国土を形づくる多数の子をもうける。その中には淡路島隠岐島からはじめやがて日本列島を生み、更になど森羅万象の神々を生んだ。



火の神 軻遇突智(迦具土神・かぐつち)を産んだために陰部火傷を負って病に臥せのちに亡くなるが、その際にも尿吐瀉物から神々を生んだ。



この逸話を、天体の動きをなぞらえたものとも解釈できる。



イザナギを太陽、イザナミを月、ホノカグツチを金星(明けの明星)とする。未明、西の地(水)平線上に、月(イザナミ)が浮かび、東の地(水)平線上に、金星(ホノカグツチ)が輝く(生まれる=月(イザナミ)が産む)。そして月(イザナミ)が西の地(水)平線下に沈む(死ぬ)と、東の地(水)平線上に、太陽(イザナギ)が昇り(起こり=怒り)、金星(ホノカグツチ)の輝きを消す(殺す)。



この逸話からは、イザナギとイザナミは、(第一世代の)太陽神と月神であると、解釈できる。



亡骸は、『古事記』によれば出雲と伯伎(伯耆。ほうき)の境の比婆山(現在の中国地方にある島根県 安来(やすぎ)市伯太町(はくたちょう))に、『日本書紀』の一書によれば紀伊熊野の有馬村(三重県熊野市有馬の花窟神社(はなのいわやじんじゃ))に葬られたという。のちにスサノオが出雲東部の根之堅洲国(ねのかたすくに)へ行ったのは、これは母たるイザナミの墓守にいったのだという説もある。



死後、イザナミは自分に逢いに黄泉国までやってきたイザナギに腐敗した死体(自分)を見られたことに恥をかかされたと大いに怒り、恐怖で逃げるイザナギを追いかける。しかし、黄泉国と葦原中国(あしはらのなかつくに)(地上)の間の黄泉路において葦原中国とつながっている黄泉比良坂(よもつひらさか)で、イザナミに対してイザナギが大岩で道を塞ぎ会えなくしてしまう。そしてイザナミとイザナギは離縁した。  



この後、イザナミは黄泉国の主宰神となり、黄泉津大神(よもつおおかみ)、道敷大神(ちしきのおおかみ)と呼ばれるようになった。