天照大神 神仏混淆と天照大神男神説


 

中世の神仏混淆本地垂迹説が広まると、インドの仏が神の姿をとって日本に出現したとする考えが広く浸透した。はじめ天照大神には観音菩薩十一面観音菩薩)が当てられたが、やがて大日如来となり、両部神道(りょうぶしんとう)が登場すると天照大神は宇宙神である大日如来と同一視されるようになる。



平安末期の武士の台頭や神仏混淆による男系社会が強まると、一部に天照大神を男神とする説が広まり、中世神話などに姿を残した。

 

 



天照大神男神説


神道において、陰陽二元論が日本書紀国産みにも語られており、イザナギを陽神(をかみ)、イザナミを陰神(めかみ)と呼び、男神は陽で、女神は陰となされている。太陽は陽で、月は陰であり、太陽神である天照大神は、男神であったとされる説である。



平安時代、すでに大江匡房(おおえ  まさふさ)は『江家次第』(ごうけしだい)で伊勢神宮に奉納する天照大神の装束一式が男性用の衣装である事を言及しており、江戸時代の伊勢外宮の神官 度会延経(わたらい のぶつね)は「之ヲ見レバ、天照大神ハ実ハ男神ノコト明ラカナリ」と記している。(『内宮男体考証』『国学弁疑』)。京都祇園祭の岩戸山の御神体は伊弉諾命・手力男命・天照大神であるが、いずれも男性の姿である。天照大神の像は「眉目秀麗の美男子で白蜀江花菱綾織袴で浅沓を穿く。直径十二センチ程の円鏡を頸にかけ笏を持つ。」と岩戸山町で伝えられるとおりの姿である。江戸時代、円空(えんくう)は男神として天照大神の塑像を制作している。江戸時代に流行した鯰絵(なまずえ)には天照大神が男神として描かれているものがある。京丹後市 久美浜町 布袋野(ほたいの)の三番叟(さんばそう)に登場する翁は天照大神を表すとされ、振袖を着てカツラを装着し、かんざしを挿して金色の烏帽子を被る姿である。