神宮大麻 御璽(ぎょじ)と大麻
御師制度の停止と変革
明治時代に入ると国家神道の確立の過程で御師の活動は停止する。
師職並ニ諸国郡檀家卜唱ヘ御麻配分致シ候等之儀一切被停止候事
— 神宮改革 太政官達明治四年七月十二日
伊勢の皇大神宮、宇治橋の手前のおはらい町は、かつて御師の屋敷があった場所である。
1871年(明治4年)12月18日、伊勢神宮大宮司から神祇省に対し、大麻の神号名を「天照皇大神宮」、「皇大神宮御璽」の印を押し神宮司庁の責任で遍く頒布することをうかがい出て、神祇省はこれを承認した。 翌年1月に、大麻製造局を設け、4月には大麻頒布規則を定める。4月1日には、「御璽奉行」が行われ大宮司の北小路随光は、大御璽としての大麻の頒布を奏した。 1873年(明治6年)12月の『神宮大麻奉祀式』において、少宮司の浦田長民が、毎年神宮から頒布する罪を払除けする神具としての大麻に向かい敬拝することで、罪穢れを消尽するがために、毎朝夕礼拝すべし、というようなことを述べている。
頒布元の変更
1973年(明治6年)に神宮教院が開館し、明治9年2月の神宮教院規則第五条に神宮大麻の頒布を主要な事業としていることが示される。
第五条 大麻ヲ全国ニ頒布スル事
— 神宮教院規則
1878年(明治11年)の通達以降、頒布の方法がたびたび変更されるようになる。
神宮大麻頒布之儀ニ付明治五年六月元教部省ヨリ相達置候趣モ候処右ハ自今地方官ノ関係ニ不及候其受不ハ専ラ人民ノ自由ニ為仕儀ト心得此旨相達候事
— 明治十一年内務省達第三〇号
宮家や旧皇族に献上される木箱に入った大きく厚みがある献上大麻も存在する。
1882年(明治15年)に神宮教院が神道神宮派として独立し、さらに神宮教となると、大麻頒布は神宮教に委託される。さらに1898年(明治31年)には神宮教が神宮奉賛会となり、ここに頒布が委託される。
信仰の自由において意義が唱えられ、1916年(大正5年)に神宮神部署から説明がなされたが、神宮大麻の起源は大麻(おおぬさ)とも呼ばれる祓い串と祝詞によって修祓(しゅはつ)したもので、今では国家国民に対し祈願した行事によるものであるかあら、神体(しんたい)や分霊(わけみたま)ではなく、したがって本尊のようなものでもなく、崇敬するための標章なので信教の自由と衝突しないとしている。