古神道 歴史 近現代の古神道


江戸時代末期には、尊皇攘夷思想や平田国学の隆盛と連動して世に出た、古神道と称する思想や儀礼などが多くある、しかし、古神道が純粋な姿で伝えられていた当時の記録文書はなきに等しく、原始仏教と同様、実際には後世の資料などから、間接的に推理・類推される存在に過ぎないことも指摘されている。



明治時代以降、古神道は、国家神道宗教ではなく国家儀礼であるとされたのに対し、「宗教」であることを強調されることとなった。この点は黒住教(くろずみきょう)をはじめとする幕末期以降の教派神道と共通しており、事実、教派神道系の教団には古神道を名乗るものが少なくない。



また篤胤以降の江戸国学が単なる国文学に傾斜するのに反発したり、近代の国家神道が宗教性を忌避して国民道徳へと変貌するのに飽きたらず、篤胤の研究範囲に内在していたスピリチュアリズムの部分を追求するなどした諸派は、その後秘教神道ともよばれ、その教義は神道霊学(しんとうれいがく)と称されるようになっていった。例外もあるがこれらの諸派も多くは古神道を標榜している。



現在においては、新宗教で古神道を名乗る宗派も、上記記述の宗派の流れを受け継いだものであって、江戸時代以前から存在していた神道の宗派とされるものには、そもそも、「古神道」とは称されていなかったものもある。伝統的な古神道では平田篤胤ほかが学頭を務めた皇室神道の伯家神道(はっけしんとう)から受け継いた儀礼や行法がみられるが、この系統ではない出雲神道(出雲大社教)、巫部神道(神理教)、九鬼神道、修験道に由来する行法や教団も存在する。