皇典講究所 他
神道事務局生徒寮を基盤として拡張したもので、教学分離による旧内務省の再編として、当時、神道取調掛に任ぜられていた内務卿の山田が神道大会議終了後の建議によって決まっている。1885年内閣制が定められ、1886年に伊藤博文は官吏養成機関を設置した。1889年大日本帝国憲法の制定によって、皇学から官学中心の高等教育体制の周辺部へと移行していった。神職養成機関は、伊藤の変化によって帝国大学令を定め官吏養成機関へと時を経て移りかえられていった。こうして、明治29年法律第八十九号の公益法人の設立が施行し、1898年施行の新民法によって、当時近代的組織であった財団法人(公益法人)に移行した。同年、同様に日本法律学校が移行している。