神饌 形式 配膳
こうして調理された御物は土器(かわらけ)、高坏(たかつき)、折敷(おしき)、三方(さんぽう、さんぼう)、桶、櫃(ひつ)など様々な器、容器に盛り付けられ、案などの台の上に献供される。現在では土器や白磁が多く用いられるが、古式に則って縦に割った板杉に、縁取りとして葛の蔓をあしらっただけの「ヘギ板」と呼ばれる、折敷の原型とされている器を用いる神社や、藁を30センチほどの長さにそろえ、両端を縛って舟形にした「ツト」とよばれる器で供える神社もある。また、春日祭で奉げられる御棚神饌のように、皮を剥がず、黒木そのままの質感を残した楉案(しもとあん)が神饌の名前になっている例もある。
島根県松江市にある美保神社には、持ち運ぶ場合には息や唾液が神饌へかからないように榊の葉をくわえるといった作法が残っている。あるいは、唐櫃を頭上に掲げる頭上運搬という運び方で神饌を運ぶ神社が全国各地にあり、これも同様に息や唾液がかからないようにと頭上に掲げられたのが起源とされる。頭上運搬は古くは7世紀後半の古墳時代の埴輪にその姿を確認できる。『扇面古写経』(せんめんこしゃきょう)など多くの文献にその姿が残されていたが、1741年(寛保元年)に記された『夏山雑談』(なつやまぞうだん)では
嘘楽磨西国へ下りし時、長戸国赤間関を一目せしに、此所にて魚を売るものは女なり。平らなる桶に魚を入れ首にいただき、さかなめされよと云ふなり。其体部の柴売の女のごとし。土人云、往昔此所にて平家亡びし時、貴賤となく平家方の女は、此所の魚人などに身をよせて魚をうりたるより、今に至りて此風俗なりと云へり
— 小野高尚(おの たかひさ)、夏山雑談「赤間関の魚売る女」
上記のように、旅先で珍しいものを見たと記され、頭上運搬は当時既に一般的な行為ではなくなっていたが、神事のように古式を尊ぶ儀式においては変わらず受け継がれてきたとされる。人選にあたっては京都市左京区にある北白川天満宮(きたしらかわてんまんぐう)のように盛相を少女、高盛りを未婚の女性、洗米を既婚女性など、年齢や婚姻状況で役割を分担して女性に委ねる神社もあるが、男性が行う場合もある。
献供された神饌は氏子たちによって直会が行われる、あるいは参拝客などに振舞われる場合が多いが、滋賀県大津市にある住吉大社の山王祭のように、そのまま琵琶湖へ投供されるような場合や、かつては鳥へ奉げるために本殿の屋根へ設置される場合もあった。