立山修験(たてやましゅげん)
立山修験(たてやましゅげん)とは、富山県の立山を中心として行われた修験道をいう。
立山修験の世界観は、今日まで伝わる立山曼荼羅に描かれた世界を見ることで、窺い知ることができる。
立山山麓には、岩峅寺(いわくらじ)や芦峅寺(あしくらじ)をはじめとした信仰登山の拠点があり、宿坊を兼ねた宗教施設としての村落があった。そこに住む人々を中心に日本全国に勧進が行われていた。
立山は女人禁制であったため、江戸時代までは、入峰を許されない女性のための布橋灌頂会(ぬのばしかんじょうえ)という行事が芦峅寺で行われ、盛んであった。3年に一度行なわれ、目を布で覆った女性たちが橋の上に敷かれた白い布の上を歩いて渡ると極楽往生するというもので、明治維新の廃仏毀釈により行われなくなったが、1996年より地元住民らの手によって復活している。
立山の開山は、鎌倉期から江戸期にかけて成立した開山縁起によれば、奈良時代の佐伯有若(さえき ありわか)・佐伯有頼(さえきの ありより)親子によるとされる。
立山信仰の背景には山上他界が存在するという信仰があり、立山の山域の各所は、開山伝説に基づき、浄土と地獄にそれぞれ比定された。立山を巡拝することで死後の世界を擬似体験し、形式上「他界」に入り「死」から戻ってくるという修行を積むことができ、超常的な力(法力。ほうりき)を身に付けることができると考えられるようになった。
立山浄土としては、立山三山、なかでも雄山(おやま)は仏そのものであり、阿弥陀如来の仏国土である極楽浄土の象徴とされた。
立山地獄は、現在の地名にも残る地獄谷(じごくだに)であり、硫黄臭ただよう場所である。その近くのみくりヶ池は、血の池として、また、剱岳(つるぎだけ)は針山地獄であるとされた。