蔵王権現像


尊容

蔵王権現の像容は密教の明王像と類似しており、激しい忿怒相で、怒髪天を衝き、右手と右脚を高く上げ、左手は腰に当てるのを通例とする。右手には三鈷杵(さんこしょ)を持ち左手は刀印(とういん)を結び、左足は大地を力強く踏ん張って、右足は宙高く掲げられている。その背後には火炎が燃え盛る。図像上の最も顕著な特色は右足を高く上げていることで、このため、彫像の場合は左脚1本で像全体を支えることになるか、右脚をつっかえ棒で支えている。また単に高く掲げられたように見える右足は、実は虚空を踏んでいるのだという解釈もある。ただし、京都・広隆寺(こうりゅうじ)像のように両足を地に付けている像もある。



代表作として、鳥取県三仏寺(さんぶつじ)奥院(投入堂。なげいれどう)の本尊像(平安時代、重文)が挙げられる。

姿形の意味

右手の三鈷杵は天魔を粉砕する相を示し、左手の刀印は一切の情欲や煩悩を断ち切る利剣(りけん)を示す。左足の踏みつけは地下の悪魔を押さえつけており、右足の蹴り上げは天地間の悪魔を払っている姿、背後の炎は大智慧をあらわしている。

歴史

役小角自体が伝説的な人物であり、蔵王権現像の製作が実際にいつ頃から始まったのかは判然としない。滋賀・石山寺(いしやまでら)には、本尊・如意輪観音の両脇侍として「金剛蔵王像」と「執金剛神像」が安置されていた。これらの像は、正倉院文書によれば天平宝字6年(762年)制作されたものであるが、正倉院文書には両脇侍の名称を「神王」としており、「金剛蔵王」の名称は平安時代の記録に初めて現れる。これらの像のオリジナルは現存していないが、「金剛蔵王像」の塑像の心木が現存しており、右手と右脚を高く上げた姿は、後世の蔵王権現像と似ている。



吉野から出土した、国宝の「鋳銅刻画蔵王権現像」(東京・西新井大師(にしあらいだいし)総持寺(そうじじ)蔵)は、銅板に線刻で蔵王権現などの諸仏を表したもので、長保(ちょうほう)3年(1001年)銘があり、この頃までには蔵王権現の図像も確立していたことが分かる。