前鬼・後鬼 五鬼
前鬼と後鬼の5人の子は、五鬼(ごき)または五坊(ごぼう)と呼ばれた。名は真義、義継、義上、義達、義元。彼らは役小角の五大弟子と言われる義覚、義玄、義真、寿玄、芳玄と同一視されることもある(ただし、義覚・義玄は前鬼・後鬼と同一視される弟子と同一人物)。
彼らは下北山村に修行者のための宿坊を開き、それぞれ行者坊、森本坊、中之坊、小仲坊、不動坊を屋号とした。またそれぞれ、五鬼継(ごきつぐ)、五鬼熊(ごきくま)、五鬼上(ごきじょう)、五鬼助(ごきじょ)、五鬼童(ごきどう)の5家の祖となった。5家は互いに婚姻関係を持ちながら宿坊を続け、5家の男子は代々名前に義の文字を持った。
ただし、明治初めの廃仏毀釈、特に1872年の修験道禁止令により修験道が衰退すると、五鬼熊、五鬼上、五鬼童の3家は廃業し里を出、その後、五鬼継家も廃業した。小仲坊の五鬼助家のみが今も宿坊を開き、61代目の五鬼助義之が当主となっている。