修験道(しゅげんどう)
修験道(しゅげんどう)は、山へ籠もって厳しい修行を行うことにより、悟りを得ることを目的とする日本古来の山岳信仰が仏教に取り入れられた日本独特の混淆宗教である。修験宗ともいう。修験道の実践者を修験者(しゅげんじゃ)または山伏(やまぶし)という。
古神道は、森羅万象に命や神霊が宿るとして、神奈備(かむなび)や磐座(いわくら)を信仰の対象としたが、それらを包括する山岳信仰と仏教が習合し、さらには密教などの要素も加味されて確立した日本独特の宗教が、修験道である。
修験道は、日本各地の霊山を修行の場とし、深山幽谷に分け入り厳しい修行を行うことによって超自然的な能力「験力」(げんりき)を得て、衆生の救済を目指す実践的な宗教でもある。この山岳修行者のことを「修行して迷妄を払い験徳を得る 修行して その徳を驗わす〈あらわす〉ことから修験者、または山に伏して修行する姿から山伏と呼ぶ。
実修、得驗の意
験徳とは如何なるものかと思考する先には『修行をし己の心体を鍛え磨き追求し其の成果を驗す 確かめ表す道 即ち修験道である』
修験道の修行の場は、日本古来の山岳信仰の対象であった大峰山(奈良県)や白山(石川県)など、「霊山」とされた山々であった。中でも、熊野三山(熊野の本宮・新宮・那智の3社)への信仰(熊野信仰)は、平安時代の中期から後期にかけて、天皇をはじめとする多くの貴族たちの参詣を得て、隆盛を極めた。
修験道は神仏習合の信仰であり、日本の神と仏教の仏(如来・菩薩・明王)がともに祀られる。表現形態として、権現(ごんげん。神仏が仮の姿で現れた神)などの神格や王子(おうじ。参詣途上で儀礼を行う場所)がある。
だが、実際には神道としての側面は希薄で、神仏習合といっても、仏教としての側面が極めて強い宗派である認識が強い。だが修験道の儀式を見る人により実際の事実とは異なる判断をする例もある。神道で用いられる祭祀や祝詞(のりと。大祓詞(おおはらえことば)など)をしない行事もあれば、祝詞・祓詞・加持・祈祷も行う行事並び儀式もあり、経典で示されるものや真言を唱えるものばかりではない。修験道は全国霊山、各自社仏閣により次第は異なる。神仏習合の権現や明神が必ずしも主神とは限らない。一概の例に留まる見解は誤認を際するので注意したい。本寺垂迹の仏教の仏を祭祀している他、天照大神を初めとする諸国の神々も年中行事として祀り、礼する。一見の判断や視聴で修験道の把握は従事者及び研究者や論学者などでも判断は困難である。
上述の熊野信仰においては、三所権現(さんしょごんげん)・五所王子(ごしょおうじ)・四所宮(ししょぐう)の祭神が重要な位置を占めており、これを勧請した九十九王子(くじゅうくおうじ)が有名である。山伏と関連するため、山に関連した神格が存在することもある。