那智参詣曼荼羅 図像の読解 妙法山
画面左上に描かれるのは妙法山(みょうほうざん)である。那智山は古くは妙法山のことを指したと考えられており、奈良時代の『本朝法華験記』(ほんちょうほっけげんき)所収の「奈智山応照法師伝」(なちざんおうしょうほうしでん)に見える応照法師の火定(かじょう)捨身入滅の跡が阿弥陀寺境内に残されており、那智参詣曼荼羅の伝本のなかにも火定炉と思しき描写がなされているものがある。妙法山の御詠歌「くまの路をもの憂き旅とおもふなよ 死出の山路でおもひ知らせん」や、「亡者の一つ鐘」の伝承にあるように、妙法山は山中他界として観念される場であった。