那智参詣曼荼羅 図像の読解 那智社社頭


田楽場を通り過ぎると、那智社社頭である。那智社の塀の中は、社殿の他は狛犬と烏のみが描かれる聖域として表現されている一方で、塀と本堂の間の空間には院とおぼしき貴人の参詣が、本堂には社僧と参詣者、本堂周辺には琵琶法師や俗人参詣者、そして門外には高野聖などが描かれており、聖域との関係の差異における身分制の構造が描かれている。向かって右から飛瀧権現(瀧宮)、証誠殿、中御前早玉宮、西御前結宮、若宮の社殿が並び、那智の主祭神である西御前結宮の社殿にだけ、丸い印が描かれた扇が掛けられている。この曼荼羅は宗教的絵画であるにもかかわらず、や神像の類が一切描かれていない。本尊や神像の不在は社寺参詣曼荼羅一般に見られることであって、社殿に描かれた丸い印とは懸仏(かけぼとけ。銅などの円板に仏像を鋳たものを 付けたり浮き彫りにしたりしたものを単純化した描写と考えられる。



丸い印が描かれた扇が登場するのは、この箇所が初めてではない。振架瀬橋(ふかせばし)のたもとで竜の上に乗って出現した少年は、同じ意匠の扇を手に香衣をまとった高僧を如意輪堂へ導いており、少年が何らかの神的存在であることを意味している。すなわち、少年は西御前結宮の本地仏である千手観音であり、僧を導くための仮の姿で現われているのである。



社頭の斎庭では、衣冠束帯姿の貴人が香衣姿の僧侶と向かい合っている。この貴人はの熊野御幸の姿と伝えられ、貴人の参詣があったことをもって那智山参詣の神威・霊験を示すものと解される。しかしながら、この貴人がいずれの院に比定されるのかは、闘鶏神社(とうけいじんじゃ)本の裏書にある慶長元年(1596年)の修復銘に「右何皇帝御幸之時也哉」と記されるように、この当時すでに明確ではなかった。後世の所伝では後白河院とする説が有力ともされるが、那智山と花山院の由緒をもとに貴人を花山院、僧を弁阿上人に見立てる説、後鳥羽院の可能性を指摘する説などがあるが、特定の院を描いたものではないとする説もあって諸説は一致していない。