那智参詣曼荼羅と熊野比丘尼 ②
この曼荼羅に描かれているのは、補陀落渡海(ふだらくとかい)、那智滝(なちのたき)、年中行事、那智社社殿、妙法山(みょうほうざん)といった那智山をめぐる宗教的な要素、そして聖地における様々な人物たちである。これら諸要素は、巧みな配置を施され、曼荼羅が作製・受容された中世末期から近世初期にかけての宗教的観念を前提とした図像が織り込まれている。また、道と川(滝)、そして道を歩く人物たちの動線も、それらを観衆にたどらせることで、聖地を再構成しつつ曼荼羅の世界に誘うよう配置されている。この曼荼羅を絵解かれた民衆の多くは、現実には熊野へ赴くことは叶わなかったと考えられている。だが、この曼荼羅の絵解きを通じて、眼前に再構成された聖地をたどり、聖地への巡礼を追体験したと考えられている。
この曼荼羅は歴史的に先行する熊野曼荼羅および宮曼荼羅から発展してきたものだが、それらとは異なる特徴を有している。熊野曼荼羅で描かれた本地仏・垂迹神は全く描かれず、宮曼荼羅に比べても参詣風俗、伝説、縁起譚の比重が高く、また絵解かれることを目的としているといった点がそうである。こうした相違は、那智参詣曼荼羅の製作者あるいは作製主体が、社家ではなく本願であることに由来している。
絵画としての那智参詣曼荼羅は、泥絵具を画材とする大量生産品で、絵師の落款も無く、描写が稚拙であると評されて美術史においては省みられてこなかった。しかし、絵画などの非文字史料への着目がすすんで以降、庶民信仰の水準における熊野信仰のあり方を知る手がかりとして、宗教史、国文学、宗教学、民俗学、美術史、説話伝承研究といった分野で注目を集めている。