当麻曼荼羅 伝来
当麻曼荼羅は、上述の如く、観無量寿経(観経)に基づいた変相図なので、浄土変相図の中でも観経変相図と呼ばれる図像を指すことになる。観経変相図は、当麻寺が発祥ではない。中将姫織成の伝説のある根本曼荼羅の原本も、近年の調査の結果、伝説のような蓮糸を織ったものではなく、錦の綴織り(つづれおり)であることが判明している。しかも、同時期の日本に見られる綴織りと比較して桁違いに密度の濃い、非常に高い技術を要する織り方がなされていることも分かっている。そのことから、原本は中国製なのではないかと推定されている。
さて、中国における観経変相図となると、日本に現存するような軸装の絹本なり紙本の図は見られないが、壁画としての遺品は、多く見ることができる。唐代では敦煌莫高窟(ばっこうくつ)の壁画中に何点か見ることができるし、宋代でも大足石刻(だいそくせっこく)中に観経変相図像が見られる。