社寺参詣曼荼羅 形態と起源 形態
参詣曼荼羅の特徴として指摘されるのは、徳田和夫(とくだ かずお)の整理によれば次の8点、特に2から5である。
(1)大幅(おおはば。掛幅(かけふく)形式)の画面に泥絵具で彩色していること。(紙本が大多数、絹本は三本のみ)
(2)明らかに先行する本地・垂迹・本迹の各図像曼荼羅や宮曼荼羅の影響下にあること。(曼荼羅)
(3)礼拝の対象となっていること。(礼拝画・仏画・神画)
(4)寺院・神社の境内一円(堂塔伽藍)と周辺を俯瞰的に描いていること。(地図)
(5)参詣路を配し、そこを行きかう参詣者たちの姿を描いていること。(案内図・遊楽図)
(6)寺社の行事や祭礼、神仏祭祀の儀礼、門前町の繁栄を描くものが多いこと。(風景図・風俗絵)
(7)寺社に伝わる物語(縁起・霊験譚)を描きこむものが多いこと。(縁起絵・物語絵・説話絵)
(8)絵解きを想定して制作していること。(絵説式曼荼羅)
— 徳田和夫『絵語りと物語り』
伝来している全ての作例が、これら全ての特徴を備えているわけではないが、これらの点により参詣曼荼羅のイメージを把握することができる。
参詣曼荼羅として今日に伝来する約150点の大半は紙本著色による作例で、朱・群青・黄土・胡粉といった泥絵具を顔料として描かれた安価な絵図である。彩色的に原色的効果があるが、描写法は素朴である。絹本著色による作例もあるが25本が知られるのみである。絹本の中で立山曼荼羅は14点を占め、大半が19世紀以降の作例である。
立山曼荼羅にさかのぼる年代の絹本の作例は、一幅の大型の掛け幅という携帯に適さない形態をとっており、持ち運ばれることを前提とせず、それぞれの寺社から外部に出ることはなかった可能性が高い。ただし、掛幅形式が当初の姿であった訳では必ずしもない。掛幅形式として伝来する紙本作例には折りたたんで携行したであろうことを示唆する折り筋が付けられていることが多いだけでなく、那智参詣曼荼羅の幾つかの作例にあるように吊り下げて使用するための意匠が伴っているなど、各地に持ち運んでは霊場の霊験功徳を説教唱導しては観衆に現世利益を説く、絵解きによる勧進活動の道具であったことを示すと考えられている。