国東塔(くにさきとう)
国東塔(くにさきとう)は、大分県国東半島を中心に分布する宝塔の一種。一般の宝塔が台座を有さないのに対して、国東塔は基礎と塔身の間に反花(かえりばな)または蓮華座(れんげざ)、ものによっては双方からなる台座を有するのが外観上の最大の特徴である。
鎌倉時代後期の弘安6年(1283年)の銘がある岩戸寺(いわとうじ、いわとじ)の国東塔が在銘最古のものであり、以降、南北朝時代、室町時代を経て、江戸時代に至るまでの様々な時代の国東塔が確認されている。国東塔が造られた目的は、納経、家門の繁栄祈願、墓標、逆修(ぎゃくしゅ。死後の冥福を祈って仏事を行うこと)などのためとされる。
国東塔の総数は約500基といわれ、その分布は大分県内北部から西部にも及ぶが、約9割が国東半島に集中している。
国東塔という名は、京都帝国大学の天沼俊一(あまぬま しゅんいち)が1912年(明治45年)に富貴寺(ふきじ)大堂の修理に国東半島を訪れた際に、一帯に特異な形式の宝塔が分布していることを知り、地名に因んで名づけたものである。 地元古老には『いぐりんさん』と呼ばれている。