仏塔 歴史
起源
ストゥーパはもともと、仏教の開祖の釈迦が荼毘(だび)に付された際に残された仏舎利を納めた塚である。最初は釈迦を祀って、釈迦の誕生した涅槃(ねはん)の地に塔を建てた。その後、仏教が各地へ広まると、仏教の盛んな地域にもストゥーパが建てられ仏舎利を祀るようになった。
その後、ストゥーパが増え仏舎利が不足すると、宝石、経文(きょうもん)、高僧の遺骨などを、しかるべき読経などをしたうえで仏舎利とみなすようになった。
古代インドでは、貴人の頭上に傘蓋(さんがい)をかざして歩いたことから、傘蓋は尊貴のシンボルとされ、やがてストゥーパに対する供養としての傘蓋は幾重にも重なり、楼閣・塔となっていった。
塔の頂部につけられる相輪(そうりん)は、原初的な仏塔にある傘蓋(さんがい)の発展したものと言われる。
漢
それが漢の時代に中国に伝わり、木造建築の影響を受けて形が変わった。中国ではストゥーパに「塔」の字が当てられた。
日本
その後、日本に伝播した。日本では五重塔・三重塔・多宝塔(たほうとう)など、木材(檜など)を使って建てられることが多い。なお、小型のもの(宝篋印塔(ほうきょういんとう)や五輪塔(ごりんとう)など)は石造や金属製(青銅など)のものが多い。形は大きく変わったものの、本来のストゥーパのもつ意味は変わっていない。多くは信者の寄進によって立てられる。