鐘楼 日本


日本では室町時代になると、山門と一体化し、鐘門(しょうもん)となった事例もある。



また、その時を告げるという性格上、政庁など、宗教施設以外にも設置されている。



南都六宗の場合、講堂の斜め前方か斜め後方に位置する。経蔵(きょうぞう)と東西に向き合うような形で建てられる。



鐘をつくことは供養であるとされ、中宮寺の天寿国曼荼羅に入母屋造の鐘楼がある。その中には鐘が吊るされ、人が撞木でそれを撞くところが描かれている。古い例に法隆寺西院のものがある。切妻造、腰には組高欄(くみこうらん)がめぐらされている。のちに、法隆寺(ほうりゅうじ)東院、新薬師寺(しんやくしじ)、石山寺(いしやまでら)のような袴腰造(はかまごしづくり)、東大寺のもののようなふきはなちのものも現れた。



時計が高価で所持する人の少ない江戸時代には、鼓楼(ころう)もあったが鐘楼のほうが多かった。



重い鐘を吊り下げることを前提とした建物のバランス構造となっていたため、戦時中に供出された鐘楼では重い石を吊り下げたとの話もある。



主な鐘楼

· 法隆寺鐘楼 (ほうりゅうじ。国宝)


· 法隆寺東院鐘楼 (国宝)


· 東大寺鐘楼 (とうだいじ。国宝)


· 妙成寺鐘楼 (みょうじょうじ。重要文化財)


· 石山寺鐘楼 (いしやまでら。重要文化財)


· 長谷寺鐘楼 (はせでら。重要文化財)


· 霊山寺鐘楼 (りょうせんじ。重要文化財)


· 朝光寺鐘楼 (ちょうこうじ。重要文化財)


· 長遠寺鐘楼 (じょうおんじ。重要文化財)


· 鶴林寺鐘楼 (かくりんじ。重要文化財)