仏罰 法華系宗派の解釈 


法華系宗派・教団の一部の解釈によると、仏教には因果応報の考え方から“罰”を詳細に説いており、『法華経』には、正法(しょうぼう、しょうほう)を誹謗する悪果報が説かれているとする。




譬喩品第3「若し人、信ぜずして此の経を毀謗(きぼう)せば、すなわち一切世間の仏種(ぶっしゅ)を断ぜん。 或は復(また)顰蹙(ひんじゅく)して疑惑を懐かん。汝当に此の人の罪報を説くを聴くべし。若しは仏の在世、若しは滅度の後に、其れ斯(かく)の如き経典を誹謗すること有らん。経を読誦し書持すること有らん者を見て、軽賤憎嫉(きょうせんぞうしつ)して結根を懐かん。此の人の罪報を汝今また聴け、其の人命終して阿鼻獄(あびごく)に入らん」


法師品第10「若し悪人有りて、不善の心を以って一の中に於いて、現に仏前に於いて常に仏を毀罵(きめ)せん、其の罪尚軽し。若し人、一の悪言を以って在家出家の法華経を読誦する者を毀訾(きし)せん、其の罪甚だ重し」


普賢菩薩勧発品第28「若し復是の経典を受持せん者を見て、其の過悪(かあく)を出さん。若しは実にもあれ、若しは不実にもあれ、此の人は現世に白癩(びゃくらい)の病を得ん。若し之を軽笑(きょうしょう)すること有ん者は、当に世世に牙歯疎欠・醜脣平鼻・手脚繚戻(げしそけつ・しゅうしんびょうび・しゅきゃくりょうらい)し、眼目角眸(げんもくかくらい)に、身体臭穢(しんだいしゅうえ)にして、悪瘡膿血・水腹短気(あくそうのうけつ・すいふくたんけ)、諸の悪重病あるべし」