中国の大師号
中国では、北宋初の賛寧(さんねい)による『大宋僧史略』(だいそう そうしりゃく)巻下「賜師号」によれば、その始まりは、唐の後半、懿宗(いそう)皇帝の咸通(かんつう)11年(870年)、旧暦11月14日の延慶節(えんけいせつ)の談論の際に、左街の雲顥に「三慧大師」、右街の僧徹に「浄光大師」の師号を賜った時であるとする。つまり、それ以前には法師号や禅師号しか無かったとする。その後、唐末に大師号と紫衣が濫発されたため、後梁の龍徳元年(921年)に禁止令が発せられたという。宋初においても、太平興国(たいへいこうこく)4年(979年)まで、大師号が下賜されることは無かった、と結んでいる。
但し、少なくとも、隋の煬帝(ようだい)が晋王時代に、智顗から菩薩戒を受けた時に「智者」の大師号を賜った例が見えるので、実際には、その起源は、それ以前に遡るものと考えられる。
· 智者大師智顗(ちしゃだいし ちぎ。538- 597年)
天台宗第三祖。天台大師とも。
· 慈恩大師基(じおんだいし き。632年 - 682年)
法相宗開祖
· 至相大師智儼(しそうだいし ちごん。602年 - 668年)
中国華厳宗第二祖
· 嘉祥大師吉蔵(かじょうだいし きちぞう。549年-623年)
三論宗