三種薫習 能薫の四義(のうくんのしぎ)
能熏の四義については1.有生滅(うしょうめつ)、2.有勝用(うしょうよう)、3.有増減(うぞうげん)、4.能所和合転(のうじょわごうてん)の四義をあげている。一切のものが何でも所熏の阿頼耶識にむかって種子を熏じつけることができるかというと、そうはゆかない。それには四種の条件があるというのである。
1 有生滅(うしょうめつ)、これは作用のあるものという意味をふくんでいる。すなわち、影響力を与えるものというのは、当然、働きのあるものでなければならない。作用があるということは変化するものであるということである。変化のない常住のものは何らの作用はない。いやしくも熏習するものは、第一に自ら変化するものであり、生滅にわたるものでなければならないというのである。次に、このように変化するものとして作用をもつものであっても、その作用の劣弱なるものではどうにもならないから、
2 有勝用(うしょうよう)という条件がとかれるのである。たとえば無記心のようなものは力が弱いから問題にならないから、それは善であるとか悪であるとかという強勝な思慮作用でなければならないというのである。また、ただぶらぶら散歩しておるようなものでは何もならないように、強勢なる行動力をともなうものでなければならないのである。
3 有増減(うぞうげん)とは、何らの増減のない完全円満なものでは能熏の役を果たしえないのである。不完全であるから完全へと増長の役を果たすことができるが、究極に達すれば、もはや種子薫習の余地はないからである。したがって、これは薫習が不完全位のものであることを示しているのである。
4 能所和合転(のうじょわごうてん)とは所熏と和合して転ずるものということである。それは薫習をうけるものと同一人であり、同時同処でなければならないというのである。
以上のような能熏と所熏のそれぞれの条件をもって熏習ということが説かれるが、このような条件を満足するものは識より他にないといわねばならない。
このように熏習という概念は、われわれの意識作用の中で語られ、そこに迷いと悟りがなんであるかが語られているのである。